脱システム=自由を考える「新・冒険論」

チベットで人類未踏の峡谷踏破、北極圏で闇の世界を80日間歩く極夜行などの挑戦を行ってきた著者の冒険論。

新・冒険論 (インターナショナル新書)

冒険とはなんぞや?

私の人生で冒険といえば、スキューバ・ダイビングで、自分史上最大深度に潜り、同行したバディも視界に入らない状態で、自分の頭上にある数十メートルの水を感じたあの孤独な瞬間(あー蘇る、、、)。今はすっかり遠ざかってしまった海遊びの日々です。今現在、会社員卒業しフリーランスで右往左往しているのも、なんとなく冒険気分ではあります。そのせいか最近、”冒険”という言葉に反応して、本を読んでます。

本著の著者は冒険家です。著者にとって、冒険とは「危険性」「主体性」だけでなく「脱システム」であることです。

冒険といえば、「イッテQ」のイモト登山でも十分感動し、時には「スゴすぎる!」と涙する私ですが、「”その道”の方々は、この番組をどう思ってみているのか」というのは常々気になっていました。本著は、そのようなマニュアル化された登山について、このように書いています。

エベレスト登山は冒険でなくスポーツ?

エベレストツアーに足りないのは無謀性である。〜冒険における無謀性とは、じつは管理されていない自由で不確かな領域におけるクリエイティブな試行錯誤の中にこそある〜現代のエベレストツアー登山に見られるのはマニュアル化が進んだ非冒険的な姿である。

史上最年少だとか、最高齢だとか、日本人初とか、最速とか、冒険的にはあまり本質的とはいえない<記録>を次々と掲げ、身体的な能力が高いことを示すことで行為の価値づけをはかるということが普通になってきた。己の身体能力の高さを誇示しているわけだから、これはスポーツ競技以外の何物でもない。

限られたゴールに体力自慢が群がるスポーツ化

スポーツと冒険が方向性の違う行為であることは、システム・マニュアルといった観点で見ると、よくわかります。本著の目的は、「現代における冒険の定義」を世に問うことですが、著者は、冒険家として、現代において”冒険をする”ことは非常に難しいことであると考えています。「到達する」ことを目的にするなら、GPSなどの発達によりシステム内でほぼ可能であり、それは、もはや冒険ではなくスポーツであるから、です。

現代における冒険の難しさ、とは?

現代において、冒険をするためには、今までとは違う視点(どこかに到達することではない冒険)を探さなくてはいけません。古代ポリネシア人に近い方法で太平洋を後悔する/火山の火口でマグマに近づく、(著者のように)どんな冒険家も避けてきた「極夜」時期を選んで北極圏を歩く、、、など、マニュアルなど到底ありえない発想に取り憑かれ、文字通り命をかけて挑むのが冒険です。

そんな冒険家が、安全第一の管理社会である現代で、どのように暮らしているのか。。。

冒険者の倫理と世間の倫理の乖離

という項にはこう書かれています。

脱システムしてこのような、いってみればヤバい自由を知ってしまった人間がいったいどうなってしまうのか、〜日常的な幸福が、将来が安定して死のリスクがとりのぞかれることではじめて発生するのに対して、冒険における生の手応えは、死を前提にした自由の中でのみ獲得できる。死の有無という、それぞれの感覚が発生する成立条件がそもそも異なっているので、両者の価値観がズレるのは当たり前だといえる。

自由は面倒くさい。自由みたいに自分で判断しなければならない苦しい状況に比べると、管理世界にいるほうがはるかに楽である。現代人にとって自由は不要となってしまったように、私には見える。だが、私はそうした管理される状態を望む時代の傾向に抗いたいと思っている。

〜その意味では本書はこの窮屈な時代を、管理されることが当たり前になりつつある時代を脱システムするために書いた本だといえる。

本著にも書かれているように、神話というのは全て「冒険譚」です。冒険家=「脱システム」ない人々が、神話の時代から常に一定数いて、この世界の可能性を広げてきてくれたのだなぁ、と思いがけない感動を覚えました。新たな視座を与えてくれる、刺激的な本です。

<「冒険」キーワードのオススメ本>

「洞窟バカ」:国内外で前人未踏の地下世界に挑み続けてきた洞窟探検家の「なぜ洞窟?」がわかる本。閉所の恐怖にザワザワしながら読むのが面白いです。

「素晴らしき洞窟探検の世界」:「洞窟バカ」著者の洞窟写真集。とにかく綺麗!!

「海について、あるいは巨大ザメを追った一年間:ニシオンデンザメに魅せられて」過去投稿へh

新・冒険論

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