編集者、ライターとして約20年の経験とスキルを持つ著者の定職のない「39歳無職日記」と、不本意だらけな正社員生活の一年、そしてまた無職の日々の「41歳無職日記」の3章。
”無所属”な日常が淡々と・・・
無職日記と言っても、その期間、就職活動もしているし、これまでの仕事の結果として、新しい企画に声かけてもらってもいる、ただ、定職がない状態であるのは確か。無職と自営業の差って一体何だろう、、、と著者の日記を読みながら、つくづく考えてしまいました。肩書きとは(組織から与えられるものでなければ)「自分さえ名乗れば、それで事実!」というのは、長いこと会社員やってた身からすると、なんとも不思議な感覚です。となると、無職と名乗る人の一部は、この著者も含めて、ただ「無所属」なだけなんだとも思えます。
41歳無職日記のリアルな日常
退職が決まって、まず考えたのは家賃のことだ。住居問題はでかい。〜パートナーも首都圏の実家も持たないわたしは、家賃が払えない状況に陥ったら、これまでの仕事とかキャリアとかを前提にした求職すらできなくなる。家賃はこの世のショバ代なのか。
家族から借りたお金は返すことができたが、結局、税金や社会保険を支払うために同じ金額をまた借りた。
とはいえ、東京で一人暮らしであれば、家賃、社会保険、年金、税金、もちろん食費も必要。無収入が長引くとともに貯金も底をつき、年賀状のアルバイトをしながら、知人から借金をしたりと、薄氷の上を歩くような不安定な状況に陥ります。でも、日記のなかの著者は、友達の誘いで花見をしたり、予算を気にしながら飲み会に出たり、みんなで紅白を見たり、知人の刊行記念パーティに行ったりと、淡々と日々を過ごしていきます。不安な気持ちを吐露しつつも、悲劇の主人公のようなドラマティックな雰囲気には決してならないところが、著者の矜持を感じます。
同じように仕事に悩む40代女性(しかも本屋店長と、これまた本絡み)の日々の記録である「出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと」(過去投稿へリンク)が、思いっきり落ち込んだり舞い上がったり、何ページにも渡って感情がほとばしる文章だったのと対比すると、なんとも面白い。どちらの著者も過激な面と冷静な面を持ち合わせているであろうし、まるで表と裏のような2冊だと感じました。
人生にハッピーエンドなどない、という現実
十月某日
某文学新人賞授賞式へ。久しぶりに再開した人たちに、今何をやっているのだと聞かれ、フリーです。と答える。便利な肩書。定期的な業務委託の仕事がないわたしの場合、無職の域に達するフリーだ。「ほんと?じゃあ、何かお願いしようかな」喉から手が出るほどほしかった言葉が、編集者のカギさんから聞けた。
出版業界を生き抜いてきた女性が、編集という専門スキルを持ちながらも、
- 40歳過ぎて、このように不安定になってしまうのは、やっぱり非正規雇用だったから?
- または出版不況という業界構造のせいかな、やっぱり。
- いや、フリーだからこそのチャンスにも出会ったみたいだし、これはこれで良いのか?
と、何か結論をつけたくなる読み手の心とは裏腹に、日記らしく、特にハッピーエンドになることもなく、知人への借金を無事返した日を最後に淡々と終わっていくのでした。
三月某日
仕事の打ち合わせが立て続けに入った。いずれも単発だけど、これで半年は生活できそうだ。
フリーで働き生きるというだけでない、友達との会話や、仕事仲間の微妙な変化、電車やハローワークですれ違う人々の観察など、日常の描写がとてもリアルに心に届き、「丹野さん、今どうしてるのかな?」と著者への親しみの気持ちが満タンになる1冊でした。
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「無職、無所属、フリーの差とは…書評「あたらしい無職」」への1件のフィードバック