ノルウェーの権威ある文学賞のノンフィクション部門を受賞し、世界20カ国以上で紹介されている話題の本。ニシオンデンザメを始め、海の生き物の描写の素晴らしさはもちろん、それ以上に、まるで北欧の海辺で思索に耽ったような、静かなひとときを体験できる、詩的な文学作品です。
海について、あるいは巨大サメを追った一年:ニシオンデンザメに魅せられて
奇想天外な生物たちを、詩的に語る
ノルウエー北部の海で、二人の男がゴムボートに乗って巨大サメを釣ろうと試みるというののが、本著の一応の”ストーリー”。
ヒューゴが初めてニシオンデンザメの話をしたのは、2年前の同じような夜だった。ヒューゴの父は8歳の時から捕鯨に出ていて、ニシオンデンザメが深海から現れ、船縁でクジラの処理をしている乗組員から大きな脂肪の塊を掠めとるのを見ていた。
「生命の素晴らしさ、自然の美しさと厳しさなどを活写した、珠玉のノンフィクション」と紹介されていますが、サメ捕獲までのドキュメンタリー的な記録ではなく、読み心地は、まるで散文詩のよう。
ニシオンデンザメは大昔から生きている。生息地は、ノルウェーのフィヨルドの底から、北極の近くまで及ぶ。深海のサメは浅瀬に棲むサメよりも通常はるかに体が小さいが、ニシオンデンザメは例外だ。ホオジロザメを超える、世界最大の肉食のサメだ。〜略〜
海洋生物学者が近ごろ解明したところでは、ニシオンデンザメの寿命は400から、おそらくは500年に達し、脊椎動物のなかでは群を抜いている。我々がこれから捕まえるサメは、もしかしたら<メイフラワー号>がヴァージニア植民地に向けて出航したころ、あるいはさらに100年遡って、ニコラウス・コペルニクスが地球は太陽のまわりを回っていると考えていたころに、深い海溝のどこかを悠然と泳いでいたかもしれないのだ。
タラやニシンといった身近な海の生物から、この本の主人公でもあるニシオンデンザメや、一生に一度遭遇するかどうかのマッコウクジラなど巨大生物、深海や宇宙、海の汚染といった環境問題など、文章のテーマは多岐にわたり、その全てが、北欧の気候や歴史、神話などと交わり、語られていきます。
年に数度の穏やかな天候を待ちながら海辺の小屋で過ごす時間、そして、釣り糸を垂れサメを待つ長い時間、そのなかで、相棒のヒューゴと語りながら、また頭の中で考えながら、著者の語る視点は拡散と収縮を繰り返します。
深海、宇宙、神話の世界…視点の広がりが圧巻
350メートルの釣り糸の先に大きなクジラの脂肪をつけ、ゴムボートの上でウキを眺めて、サメがくらいつくのを待ちながら、例えば、著者は空を眺め、天文学の知識とともにこのような思索に耽ります。
今や月がはっきり見え、知らなければウキの場所さえわからない。〜略〜月の光は地球に到達するまでに1秒以上かかる。太陽光は8分だ。だったら、天文学者とは光の化石を探す考古学者であり、地質学者なのではないか。
ハッブル望遠鏡が発見したもっとも遠い銀河は、UDFj-3954284という無味乾燥な名前を持つ真紅の点だ。その銀河からの光が地球に届くまでに、数百億年かかる。その銀河は、何十億年も前にすでに冷たくなり、消滅している可能性もあるのだ。
人間は直に触れ合うものと関わりあうようにできているのだ。それは宇宙でも、海でもない。無限とも感じられる海も、宇宙のなかではわず一滴の水でしかない。
それでも、人間は海について多くのことを考える。たぶん宇宙のように、われわれの意識も広がり続けているのだろう。
宇宙の果てまで一気に広がった視点が、海を眺めながら巨大サメを追う自分たちにいつの間にか戻ってくる。このように著者の思考はいつでも果てしなく広がり、遠くへ飛び、深く潜り、過去へ戻り、そして今いる場所に戻ってきます。この視点の不安定さと、そこで語られる確かな事実の強さが、私たち読者をも、神話的なノルウェーの海辺での時間に連れ出してくれます。”非日常への旅”ができる、思い出深い1冊です。
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